2012年12月18日火曜日

『旅と恋愛』 WBLイベント

12月25日(火)19:00~
Well-bing Lab 12月イベント

『旅と恋愛 』& X'mas Party

インドの瞑想寺での恋愛は? ラテンアメリカは やはり情熱の地?
人類共通の、恋愛の法則など存在するのでしょうか。旅ではどんな恋愛との遭遇があり、そして世界にはどんな恋愛があるのでしょうか。

旅に、出会いは付きものです。それぞれの出会いの数だけドラマがあり、恋愛に発展することもあるでしょう。異文化での恋愛もあれば、一風変わった恋愛もあります。

いずれにせよ、旅と恋愛では非日常の体験を通して、新たな刺激や学びがあり、そして大きな喜びや、時にはハートブレイクを経験させてくれます。

シングルもカップルも関係なく、クリスマスだからこそ軽く飲みながら、旅と恋愛について語り合いましょう!

フェイスブックの告知ページ
http://www.facebook.com/events/305525619557515/

■日 時: 2012年12月25日(火) 19:00~22:30

■場 所 CERO秋葉原
      
■参加費: 一般:3,000円 (食事・ドリンク付き)
        学生:2,000円 (食事・ドリンク付き)

■タイムテーブル
 ・19:00・・・開場 (交流タイム)
 ・19:30・・・開演 「旅と恋愛」 (目崎雅昭)
 ・20:30・・・グループワーク・発表&目崎のコメント
 ・21:00・・・X'mas Party & クリスマスプレゼント抽選会

■主 催: Well-being Lab.

■協 力: New Work Place CERO 
       http://cero.in/

参加ご希望の方は、下記フェイスブックのページか、もしくは下記のメルアドまで、お名前と連絡先をご連絡ください。

http://www.facebook.com/events/305525619557515/





2012年11月17日土曜日

『 非常識から常識を考える 』 WBLイベント

11月22日(木)19:00~
Well-bing Lab 11月イベント

『 非常識から常識を考える 』 
~~ 目崎雅昭 & 木戸寛孝 トークセッション ~~

「常識」によって、私たちの内面は知らず知らずのうちに支配されています。
安易に常識という文脈を持ち込むことで物事に対するリテラシーが奪われ、個人の内に秘められている「創造力」「可能性」が制限されているのではないでしょうか。

また、常識と決めつけていることの多く価値観が、自分の感覚や経験に基づいたものではなく、無意識のうちに外部環境から刷り込まれ植え付けられたものだとしたら、常識的に生きれば生きるほど自分を見失っていくことにもなりかねません。

だとしたら、あえて「非常識」とされてしまっている価値観にフォーカスし、常識を相対化するという思考プロセスを通じて本来の「オリジナルな自己」や「考える力そのもの」を取り戻していくことがとても重要となってくるはずだと考えます。

そうした背景を前提として、人生の節目節目において一見すると世の中からは「非常識な選択や行動」として映りがちな経験をしてきた目崎雅昭木戸寛孝が、これからの個人のあり方や社会との関わり方について参加者の皆さんも交えながら、一緒に考えを深めていきたいと思います。

■日 時: 2012年11月22日(木) 19:00~22:30

■場 所 CERO秋葉原

■参加費: 2,500円 (軽食・ドリンク付き)

 ・19:00・・・開場 → 交流タイム
 ・19:30・・・開演 → トークセッション (目崎&木戸さん)
 ・21:00・・・グループダイアログ
 ・21:15・・・各グループ発表 & 目崎・木戸さんのコメント
 ・21:30・・・懇親会

■ゲストスピーカー

 ●目崎雅昭
   国際文化アナリスト ・ WBL主席研究員
   世界100ヵ国以上を10年かけて旅した、
   元外資系金融トレーダー。
   著書『幸福途上国ニッポン』 
   http://www.mezaki.info/

 ●木戸寛孝 
   国連認定NGO 世界連邦運動協会 常務理事
   NPO法人 世界連邦21世紀フォーラム 理事長
   (株)umariのコンセプターとして 丸の内朝大学の講師
   雑誌DiscoverJapanの「ニッポン西遊記」などのプロジェクトを
   通じて日本神話の世界を分かりやすく伝える仕事に参画
   (株)電通を退職後 4年間 農業を営む経験もあり

■主 催: Well-being Lab.
    毎月1回「幸せ」について考える勉強会イベントを開催しています。

■協 力: New Work Place CERO 
       http://cero.in/

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もしくは、
まで、名前と連絡先を明記してご連絡ください。

2012年11月16日金曜日

幸せとは何か in 福島

先日開催された、いわき市での講演の様子が、
福島みんなのNEWSに掲載されました。

http://fukushima-net.com/sites/content/856


当日は夜遅くまで、スタッフの皆様方といろいろなお話ができました。
関係者の皆様、ありがとうございました!
是非また行きたいと思っています。




2012年11月3日土曜日

福島県いわき市で「幸せを考える」

2012年11月10日18時より、福島県いわき市平一町目市生涯学習プラザにて講演をします。

「幸せを考える会」実行委員会主催

「世界事情に見る幸福の考え方」 
~幸せについて、いま一度深く考えてみませんか~


講 師 目崎 雅昭 氏 (国際文化アナリスト)
     ・WKアドバイザリー(Wolfgang Kreft Advisory)日本代表
     ・Well-being Lab.主席研究員
     ・著書:『幸福途上国ニッポン』アスペクト社

場 所 生涯学習プラザ中会議室1,2
     〒970-8026福島県いわき市平字一町目1番地 ティーワンビル内
     Tel:0246-37-8888

予 定 1730 開場
....1800 アイスブレーキング テーブル毎に自己紹介
....1805 講演開始
....1935 休憩
....1945 討論開始
....2030 全体終了

会 費 1,000円

定 員 30名(定員になり次第,募集を終了させて頂きます)

主 催 幸せを考える会実行委員会
後 援 Well-being Lab.

駐車場 無料駐車場がやや離れた場所にあります.
......ティーワンビルには有料の立体駐車場が併設されています.
......(30分毎に90円、124台、車高1.78m以下)
......童子町駐車場から徒歩約7分,梅本駐車場から徒歩約9分



フェイスブックからの参加申し込みはこちらから

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2012年10月8日月曜日

100年企業?日本でいちばん大切にしたい?       ~「いい会社」について考える~

10月18日(木)19:00~
「幸せに働くシリーズ」 第2弾

日本でも海外でも、優良企業や良い会社についての様々な研究がされてきました。

アメリカでは、『エクセレント・カンパニー』や『ビジョナリー・カンパニー』など業績優良企業についての研究がされてきており、最近では「Great place to work」のように働きがいのある会社のランキング調査も行われています。

日本では、会社の永続性に価値を見出し、100年企業の研究がされ、『日本でいちばん大切にしたい会社』は大きな反響を呼んでいます。

トークセッションでは、それぞれの視点で語られる「いい会社」のコンセプトや具体的な事例を、次世代経営研究所代表の大澤将憲氏に紹介していただきながら、みなさんといっしょに考えていきたいと思います。

グループダイアログでは、みなさんの現状を踏まえながら「いい会社」について議論を深めていきます。

■日 時: 2012年10月18日(木) 19:00~22:30

■場 所 CERO秋葉原

■参加費: 2,500円 (軽食・ドリンク付き)

■タイムテーブル
 ・19:00・・・開場 → 交流タイム
 ・19:30・・・開演 → トークセッション 
 ・20:35・・・グループダイアログ
 ・21:20・・・各グループ発表 & 目崎・大澤のコメント
 ・21:40・・・懇親会

■主 催: Well-being Lab.

■協 力: New Work Place CERO 
       http://cero.in/

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2012年9月12日水曜日

Well-being な働き方とは?

9月19日(水)19:00~ 
秋葉原CEROにて、Well-being Labo 定例勉強会を開催します。

今回のテーマは、「Well-beingな働き方」について、次世代経営研究所代表の大澤将憲氏といっしょに考えていきたいと思います。

副題: 何のために働くのですか?どんな働き方を選びますか?

お気軽に参加して下さい!

■参加費: 2,500円 (軽食・ドリンク付き)

■タイムテーブル
 ・19:00・・・開場 → 交流タイム
 ・19:30・・・開演 → トークセッション (目崎&大澤)
 ・20:35・・・グループダイアログ (働く目的と働き方)
 ・21:20・・・各グループ発表 & 目崎のコメント
 ・21:40・・・懇親会

【トークセションでは】
 働く目的や働き方について、目崎と大澤のこれまでの職歴を踏まえながら話をすすめ、参加者の質問も受けながらトークセッション

【グループダイアログでは】
 数人のグループを作り、働く目的や働き方について対話


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2012年9月3日月曜日

映画『歌えマチグヮー』 & トークショー

2012年8月25日から公開している映画『歌えマチグヮー』は、60年の歴史を刻む那覇の栄町市場を舞台に、一度は元気がなくなったマチグヮー(市場)の笑いと再生の物語です。


監督は、TV報道の最前線で数々のドキュメンタリーを製作してきた新田義貴

赴任した沖縄で、沖縄の風土と人々に惚れ込み、そのまま沖縄に住み付き栄町市場の人たちと共に3年の歳月をかけてひとりで制作しました。


▼ 9月5日21:10から、渋谷シアター・イメージ・フォーラム
  『歌えマチグヮー』上映後、監督の新田義貴目崎雅昭
  トークショーをやります。


人と人がディープにつながって暮らしている沖縄のマチグヮーで、市場を心から愛する人たちが、音楽を通して歌って踊って楽しんでいます。私たちが本当に幸せに生きていくためのヒントが、そこにあるのかもしれません。

『歌えマチグヮー』公式サイト
http://utae-machigwa.com

シアター・イメージ・フォーラム
http://www.imageforum.co.jp/theatre/index.html




2012年8月11日土曜日

勉強会の参加者募集

2012年8月16日(木)19:00~ 秋葉原CEROで勉強会を開催します。

世界を5つのエリアに分けて世界紀行の談話を交えながら、世界の人々にとって幸せとは何か、そして人類に共通な幸せはあるのか、について考えていきたいと思います。



フェイスブックをやっている方はこちら
http://www.facebook.com/events/325401124203980/


【8月定例会のご案内】
●日 時:8月16日(木) 19:00~22:30
●場 所:CERO 秋葉原
●テーマ:日本社会の未来 〜幸せの関係性についての考察〜
●参加費:2,500円(1ドリンク・軽食付き)

【Well-being Lab.4回シリーズ・第4回】

■目崎雅昭の世界漂流紀行■ 
  ~グローバル化する社会で私たちは経験を共有できるのか~

14世紀の大航海時代、海を渡り国境を越えた貿易が行われるグローバリゼーションが始まりました。
それから600年が経過する今、グローバル化は国家間という大きな枠に収まらず、地域や組織、そして個人をも飲み込んで進行しています。

その結果、私たちは時間や場所の壁を越えて人と繋がれるようになりました。更に、ゼロ年代以降はスマートフォンやSNSサービスの普及により、新たな情報との出会いに拍車をかけています。

14世紀、大航海時代に人々が見たグローバル化の未来…それは人々が様々な制約から解き放たれ、文化交流を通じた豊かなライフスタイルを手に入れることでした。
そして現在、私たちは豊かな生活を手に入れることはできたのでしょうか?グローバル化が日本にもたらした未来、それは表層的な人間関係が増え、絆をベースにした関係性を築けない「すれ違い」を感じさせる社会…ではないでしょうか?

グローバル化時代に生きる…、それは日々巡り会う人から、経済、文化と様々な次元で自分の廻りをとりまく社会を見渡していくことに他なりません。 
この講座では世界の政治や経済や文化へと目線を広げ、私たちが生きる社会を認識するための見取り図を作成していきます。
その上で、皆様が日常を見つめ直し、自分の価値観を変えていくための材料を提供していきたいと考えています。

■各回の形式
・講義(60分)
・質疑応答(20分)
・シェアリングセッション(40分)
・懇親会(60分)

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http://www.facebook.com/events/325401124203980/

参加ご希望の方は、フェイスブックから、もしくは以下のメルアドへ、参加希望の旨をご連絡ください。 



2012年8月1日水曜日

お知らせ

【コラボトーク&ディナー:世界で活躍!魅力的な男達に聞く!】
~ベストパートナーとは? 女性が求めるものと男性視点の違い~

ゲストとして参加します。
ざっくばらんにいろいろなお話をしたいと思います。

◎日程:8月2日(木)19:30~22:00 
◎場所:ドライブカフェ(外苑前駅から徒歩約4分)
http://drive-aoyama.com/access.html
◎参加費:一般4,000円、会員3500円(お食事+飲み放題)
*書道家・徳仁さんの大書ライブもあり。

◆お申込みはコチラまで⇒sakurasai1@gmail.com

詳しくは、こちら
http://ameblo.jp/sakurasai/entry-11309838033.html



【ネット番組:真☆大学デビュー】に生出演予定
8月3日(金)22:00~

放送中、コメント大歓迎です!

USTREAMはこちら
http://www.ustream.tv/channel/%E7%9C%9F-%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E3%83%87%E3%83%93%E3%83%A5%E3%83%BC

ニコニコ動画はこちら
http://live.nicovideo.jp/watch/lv101112046



Live broadcast by Ustream

2012年7月14日土曜日

勉強会の参加者募集


2012年7月19日(木)秋葉原CEROにて、19:00~22:00で勉強会を開催します。

世界を5つのエリアに分けて世界紀行の談話を交えながら、世界の人々にとって幸せとは何か、そして人類に共通な幸せはあるのか、について考えていきたいと思います


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【7月定例会のご案内】
●日 時:7月19日(木) 19:00~22:30
●場 所:CERO 秋葉原
●テーマ:『南米、ヨーロッパ』 〜多様性が存在する社会とは?〜
●参加費:2,500円(1ドリンク・軽食付き

【Well-being Lab.4回シリーズ・第3回】

■目崎雅昭の世界漂流紀行■ 
  ~グローバル化する社会で私たちは経験を共有できるのか~

14世紀の大航海時代、海を渡り国境を越えた貿易が行われるグローバリゼーションが始まりました。
それから600年が経過する今、グローバル化は国家間という大きな枠に収まらず、地域や組織、そして個人をも飲み込んで進行しています。

その結果、私たちは時間や場所の壁を越えて人と繋がれるようになりました。更に、ゼロ年代以降はスマートフォンやSNSサービスの普及により、新たな情報との出会いに拍車をかけています。

14世紀、大航海時代に人々が見たグローバル化の未来…それは人々が様々な制約から解き放たれ、文化交流を通じた豊かなライフスタイルを手に入れることでした。
そして現在、私たちは豊かな生活を手に入れることはできたのでしょうか?グローバル化が日本にもたらした未来、それは表層的な人間関係が増え、絆をベースにした関係性を築けない「すれ違い」を感じさせる社会…ではないでしょうか?

グローバル化時代に生きる…、それは日々巡り会う人から、経済、文化と様々な次元で自分の廻りをとりまく社会を見渡していくことに他なりません。 
この講座では世界の政治や経済や文化へと目線を広げ、私たちが生きる社会を認識するための見取り図を作成していきます。
その上で、皆様が日常を見つめ直し、自分の価値観を変えていくための材料を提供していきたいと考えています。

■講義計画
第3回(7月19日)南米、ヨーロッパ 〜多様性が存在する社会とは〜
第4回(8月16日)日本社会を振り返る 〜グローバル化についての考察〜

■各回の形式
・講義(60分)
・質疑応答(20分)
・シェアリングセッション(40分)
・懇親会(60分)

■参加費:2,500円(1ドリンク・軽食付き)

参加ご希望の方は、フェイスブックから、もしくは以下のメルアドへ、参加希望の旨をご連絡ください。

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今回が初めてでも、お気軽にどうぞ!

2012年6月14日木曜日

「happy」自主上映会


映画『happy -しあわせを探すあなたへ』
自主上映会&ワークショップ
~クリエイティブでオリジナルな生き方とは?~

世界5大陸16か国を巡り、心理学者や脳医学者と「幸せになる方程式」を明らかにするドキュメンタリー映画『happy -しあわせを探すあなたへ』自主上映会&対話式ワークショップのご案内

○開催日時:2012年7月1日(日)13:30~ ※13:00開場
○場所  :金沢工業大学K.I.T.虎ノ門大学院
     (地下鉄虎ノ門駅・神谷町駅・御成門駅から各徒歩8分)
○参加費 :2,000円 ※当日現金払い
お申込みはコチラ(※事前登録制)
 → https://pro.form-mailer.jp/fms/115b522230327



来る7月1日(日)13時30分より、金沢工業大学K.I.T.虎ノ門大学院にて、公開と同時に世界で大きなセンセーションを巻き起こしている映画、『happy -しあわせを探すあなたへ』を上映後、「クリエイティブでオリジナルな生き方とは?」というテーマで、対話式ワークショップを行います。実行委員会一同、多くの皆様のご参加をお待ちしております。

映画『happy~しあわせを探すあなたへ』自主上映会
当日は、まず、映画『happy -しあわせを探すあなたへ』を、会場にてご参加の皆様にご鑑賞いただきます。

○映画『happy -しあわせを探すあなたへ』とは
「アカデミー賞ノミネート監督ロコ・ベリッチ(『ジンギス・ブルース』)が、新たな映画のアドベンチャーをお届けします。『happy -しあわせを探すあなたへ』は日本人プロデューサー清水ハン栄治と共に5大陸16か国を巡る4年間のロケを敢行し、心理学や脳医学の世界的権威と幸福度を高める鍵を読み解くドキュメンタリー映画です。エグゼクティブプロデューサーは『ナッティ・プロフェッサー』『ブルース・オールマイティ』監督のトム・シャドヤックです。
※映画詳細はコチラ → http://www.happyrevolution.net/story

対話式ワークショップ
映画上映後は、少人数のグループを作り、「クリエイティブでオリジナルな生き方とは?」というテーマで、対話式ワークショップを行います。
ワークショップのファシリテーターは『幸福途上国ニッポン』著者で、世界100ヵ国以上を10年かけて旅した国際文化アナリストの目崎雅昭氏がつとめます。ワークショップの冒頭で、目崎氏には映画の解説と幸せについてのヒントをいただきます。
また、ゲストとして、日本をコンテンツから元気にする企画マネジメント会社を昨年起業し、本年3月、世界中の漫画・イラストレーターが東北支援のために寄稿したイラスト集『Magnitude ZERO』を刊行したマインド・クリエーターズ代表、本田恵理子氏も登壇します。総合司会は、金沢工業大学大学院准教授の上條由紀子氏が務めます。

あなたも映画『happy』を観て、幸せについて考えてみませんか?

登壇者プロフィール
○ファシリテーター
目崎雅昭(めざき まさあき)
国際文化アナリスト。10年かけて世界100ヶ国以上を旅した、元外資系証券トレーダー。著書『幸福途上国ニッポン』(アスペクト社)

○ゲスト
本田恵理子(ほんだ えりこ)
マインド・クリエーターズ代表。2012年3月、世界中の漫画・イラストレーターが東北支援のために寄稿したイラスト集『Magnitude ZERO』を刊行。

○司会
上條由紀子(かみじょう ゆきこ)
金沢工業大学大学院知的創造システム専攻 准教授・弁理士。大学院における知財人材育成及びキャリア支援、中小企業の知財コンサルティング、産学官連携支援、若手起業家によるスタートアップ支援に情熱を傾けた活動を行っている。

開催概要
○開催日時及びスケジュール
 2012年7月1日(日) ※13:00開場
   13:30~13:40  ご挨拶
   13:40~15:00  映画上映
   15:00~15:15  休憩
   15:15~16:00  映画解説・目崎氏と本田氏による対談
   16:00~16:10  休憩
   16:10~17:40  対話式ワークショップ
   17:40~18:10  名刺交換・書籍サイン販売会 
○開催場所
 金沢工業大学K.I.T.虎ノ門大学院
 東京都港区愛宕1-3-4 愛宕東洋ビル13階
 ※当日は、愛宕東洋ビルのエレベーターで直接13階までお越し下さい。
○募集人数
 100名
○参加費
 2,000円
○お支払い方法
 当日受付時に現金にてお支払いください。
申込方法
 下記WEBサイトにアクセス頂き、必要事項をフォームにご記入のうえ、お申込みください。

お問い合せ先
 info@all-as-one.jp(野田)
 ◆当日の連絡先:090-9340-7875(長尾)

主催
映画『happy』自主上映会実行委員会 
メンバー(※五十音順)
 ・上條 由紀子(金沢工業大学大学院 准教授・弁理士)
 ・木戸 寛孝 (NPO法人世界連邦21世紀フォーラム理事長)
 ・長尾 吉彦 (Well-being Lab.代表)
 ・野田 武志 (SUN's ACT)
 ・目崎 雅昭 (国際文化アナリスト)


2012年6月11日月曜日

勉強会の参加者募集

2012年6月21日(木)秋葉原CEROにて、19:00~22:00で勉強会を開催します。

世界を5つのエリアに分けて世界紀行の談話を交えながら、世界の人々にとって幸せとは何か、そして人類に共通な幸せはあるのか、について考えていきたいと思います


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【Well-being Lab.4回シリーズ・第2回】

■目崎雅昭の世界漂流紀行■ 
  ~グローバル化する社会で私たちは経験を共有できるのか~

14世紀の大航海時代、海を渡り国境を越えた貿易が行われるグローバリゼーションが始まりました。
それから600年が経過する今、グローバル化は国家間という大きな枠に収まらず、地域や組織、そして個人をも飲み込んで進行しています。

その結果、私たちは時間や場所の壁を越えて人と繋がれるようになりました。更に、ゼロ年代以降はスマートフォンやSNSサービスの普及により、新たな情報との出会いに拍車をかけています。

14世紀、大航海時代に人々が見たグローバル化の未来…それは人々が様々な制約から解き放たれ、文化交流を通じた豊かなライフスタイルを手に入れることでした。
そして現在、私たちは豊かな生活を手に入れることはできたのでしょうか?グローバル化が日本にもたらした未来、それは表層的な人間関係が増え、絆をベースにした関係性を築けない「すれ違い」を感じさせる社会…ではないでしょうか?

グローバル化時代に生きる…、それは日々巡り会う人から、経済、文化と様々な次元で自分の廻りをとりまく社会を見渡していくことに他なりません。 
この講座では世界の政治や経済や文化へと目線を広げ、私たちが生きる社会を認識するための見取り図を作成していきます。
その上で、皆様が日常を見つめ直し、自分の価値観を変えていくための材料を提供していきたいと考えています。

■講義計画
第2回(6月21日)中東、アフリカ 〜寛容性のある社会について考える〜
第3回(7月19日)南米、ヨーロッパ 〜多様性が存在する社会とは何か?〜
第4回(8月16日)日本社会を振り返る 〜グローバル化についての考察〜

■各回の形式
・講義(60分)
・質疑応答(20分)
・シェアリングセッション(40分)
・懇親会(60分)

■参加費:2,500円(1ドリンク・軽食付き)

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参加ご希望の方は、フェイスブックから、もしくは以下のメルアドへ、参加希望の旨をご連絡ください。




2012年5月24日木曜日

国際社会についての対談

5月21日に、SIDイノラボ×塾図鑑 presents!『エデュセッション!東大院生と教育の未来を語る』として、現役東大大学院生で教育学を研究し、学習塾「プラスティー」の代表でもある清水章弘さんと「国際社会」について対談した。


Video streaming by Ustream
生放送だったので、打ち合わせの段階である程度決めていた内容とまったく違う話に進んでいったが、結果としてより深い内容になったと思う。

ちなみに清水章弘さんは、20才の時に会社を起業し、2009年には「NEXT ENTREPRENEUR 2009 AWARD」を受賞している。現在はまだ24才だが、すでに3冊の本を出版し、中国、台湾、韓国で翻訳までされている。

清水さんの最新の著書こちら

話題は「グローバルな人材とは?」にも及んだ。

世界のどこでも自分の軸でしっかりと生きるために、自分の確固たる意見を持ちながらも、相手と深い対話ができ、お互いにより深い共通理解へとすすむことは、容易いことではない。しかしそれができなければ、異文化の人と心からわかり合えることは難しいだろう。

その点では、清水さんはグローバル社会で充分に通用する人物だと思った。
清水さんの経営している塾では、きっと多くの生徒たちが素晴らしい影響を受けているに違いない。

グローバルな人材とは、必ずしも世界で活躍している必要はない。いつでも世界と対峙できる人物であればいいのである。




下記の写真は、5月19日に渋谷アップリンクで、映画「Happy」上映後のトークイベントです。


映画は、連日立ち見が出るほどの超満員でした。
7月頃に「Happy」の自主上映会を計画してますので、また追ってお知らせします。






2012年5月18日金曜日

お知らせ

5月19日(土)18:15から渋谷アップリンクで上映される映画「Happy」の上映後、19:35~20:05まで「世界100か国を10年かけて見つけた幸せとは?」というテーマで話をします。

5月21日(月)13:00から、インターネット番組「エデュセッション!東大院生と教育の未来を語る」で、、勉強を教えない新しいスタイルの学習塾「プラスティー」の代表でもある清水章弘氏と教育について対談します。ライブ配信です。



2012年5月12日土曜日

映画『Happy ~しあわせを探すあなたへ』

先日、映画『Happy』を観た。

個人的に幸せの研究をしている私にとって、「幸せ」「幸福」「Happy」というキーワードには敏感に反応する。

ただ、「幸せ」を題材にした映画となると、ありきたりな、ふわふわっとしたイメージで終わってしまうのかな、という先入観があった。

で、まず最初の感想。

この映画、私の本(『幸福途上国ニッポン』)を映画にしたら、こんな感じになるのかな・・・。というか、登場してくる心理学脳科学専門家の人たち、全員の文献を読んでるし、引用してる箇所なんかもほとんど同じ。さらに、日本の「過労死」も取り上げ、日本人の幸福度の低さについて問題定義もしている。半分ぐらいは、拙著の内容といっしょ!最新の科学的な幸福の研究に基づきながら、世界の人々を紹介している。

でも書籍では表現できない、映像ならではのインパクトも凄いと思った。
トラックに顔をひかれ、顔の半分が変形してしまった女性が、「今のほうが幸せよ」と微笑む姿にウソはない。本当の幸せのありかたについて、心に突き刺さった場面だった。

その他にも、インドのスラム街で生活する幸せな人々や、ブラジルの明るい老人サーファーなど、観ているだけでも幸せを共感できる人たちが沢山でてくる。

さすが世界16ヵ国を6年かけて取材したドキュメンタリーだけのことはある。

あえて言うと、「では、なぜ文化や社会体制の違いで幸せにも違いがでるのか?」という点については、疑問が残る作品でもある。でもそこまでをひとつの作品に求めるのは、ちょっと求めすぎかな。

少なくとも、いろいろと幸せについて考えさせられる作品であることは間違いない。

幸せに関心がない人はおそらくいないと思うので、誰にでもお勧めできる作品ですね。

5月12日(土)から25日(金)まで、渋谷アップリンクで公開してます!






2012年5月6日日曜日

参加者募集

これまで毎月開催していた勉強会を、今月から全4回シリーズとして5月17日から開催します。

世界を5つのエリアに分けて世界紀行の談話を交えながら、世界の人々にとって幸せとは何か、そして人類に共通な幸せはあるのか、について考えていきたいと思います

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【Well-being Lab.4回シリーズ】

■目崎雅昭の世界漂流紀行■ 
  ~グローバル化する社会で私たちは経験を共有できるのか~

14世紀の大航海時代、海を渡り国境を越えた貿易が行われるグローバリゼーションが始まりました。
それから600年が経過する今、グローバル化は国家間という大きな枠に収まらず、地域や組織、そして個人をも飲み込んで進行しています。

その結果、私たちは時間や場所の壁を越えて人と繋がれるようになりました。更に、ゼロ年代以降はスマートフォンやSNSサービスの普及により、新たな情報との出会いに拍車をかけています。

14世紀、大航海時代に人々が見たグローバル化の未来…それは人々が様々な制約から解き放たれ、文化交流を通じた豊かなライフスタイルを手に入れることでした。
そして現在、私たちは豊かな生活を手に入れることはできたのでしょうか?グローバル化が日本にもたらした未来、それは表層的な人間関係が増え、絆をベースにした関係性を築けない「すれ違い」を感じさせる社会…ではないでしょうか?

グローバル化時代に生きる…、それは日々巡り会う人から、経済、文化と様々な次元で自分の廻りをとりまく社会を見渡していくことに他なりません。 
この講座では世界の政治や経済や文化へと目線を広げ、私たちが生きる社会を認識するための見取り図を作成していきます。
その上で、皆様が日常を見つめ直し、自分の価値観を変えていくための材料を提供していきたいと考えています。

■講義計画(4回シリーズ)
第1回(5月)→アジア漂流紀行 〜瞑想の国は何を見ているか?〜
第2回(6月)→中東、アフリカ 〜寛容性のある社会について考える〜
第3回(7月)→南米、ヨーロッパ 〜多様性が存在する社会とは何か?〜
第4回(8月)→日本社会を振り返る 〜グローバル化についての考察〜

■各回の形式
・講義(60分)
・質疑応答(20分)
・シェアリングセッション(40分)
・懇親会(60分)

【5月定例会のご案内】

●日 時:5月17日(木) 19:00~22:00
●場 所:CERO 秋葉原
●テーマ:アジア漂流紀行 〜瞑想の国は何を見ているか?〜
●参加費:2,500円(1ドリンク・軽食付き)

フェイスブックをやっている方はこちらから:

参加ご希望の方は、フェイスブックから、もしくは以下のメルアドへ、参加希望の旨をご連絡ください。






2012年5月2日水曜日

テレビ、雑誌

先日、MXテレビに出演した時の写真をアップしました。
http://www.mezaki.info/media/

先週発売のプレジデント(2012.5.14号)で、p81~83まで2ページ以上、幸福度について取材された記事が載りました。
 「データが語る、なぜか不機嫌な日本人の不思議」
http://www.mezaki.info/media/

5月9日23時からNHK BS1で放送予定のエル・ムンド」に出演します。
http://www.nhk.or.jp/elmundo/


2012年4月21日土曜日

TOKYO MXテレビ 「日本人の幸福」


4月23日(月)21時から放送のTOKYO MXテレビ「ゴールデンアワー」に生放送で出演します。


「日本人の幸福」というテーマで、解説者の予定です!
http://www.mxtv.co.jp/gold/





2012年4月1日日曜日

語学ができない本当の理由と、克服の手引き

大学2年の夏、スイスのジュネーブで私はフランス語の短期留学をした。

私のクラスは、強烈な個性がひしめきあうジャングルだった。授業中に踊り出すブラジル人、ほとんど喧嘩腰で質問攻めをするアメリカ人、含蓄のあるうんちくを披露するドイツ系スイス人、そして口を開けばジョークしか言わないペルー人スペイン人

初めての留学経験でもあり、すっかり借りてきた猫となっていた私は、自分が異物のような感覚に襲われた。未知への期待を、巨大な不安材料がのみこんでいった。

先生に質問されたとき以外、私はほとんど発言しなかった。いつも観客席からの傍観だった。しかし心の奥では、積極的に好きなだけ、自然と発言ができる自分でありたかった。でも、どうしてもそれができなかった

当時の私のフランス語は、第二外国語として少々かじった程度のレベル。そこで初日の授業は、先生の話す99%が理解できなかった。

もっと単語を暗記すれば自由に表現できるはず。そうやって自分自身に言い聞かせた。1週間で文法の教科書を一冊丸暗記し、単語も片っ端から覚えはじめ た。しかしすぐに、それが大きな勘違いだと気付かされた。

午前中の授業が終わり、クラスのみんなでランチをしていたときだった。クラスメートのほとんどが同年代の学生の中、みんなよりも2、3才年上だったスイス人が、ちょっと真面目な顔でみんなに問いかけた。

「ところでさあ、みんな、妊娠中絶は是か非か、どっちだと考えてる?」

ブラジル人が口火を切り、ぎこちないフランス語の議論が始まった。しばらく進むうちに、自然と英語に切り替わっていた。各自がそれぞれの意見を述べると、それまで黙っていた私に質問がきた。

「マサアキ、きみはいままで黙っていたけど、この問題についてどう考える?

「へ?」

ちょっととぼけて、私は聞いてなかったふりをした。

「だからこの問題、妊娠中絶を、きみは賛成か、それとも反対のどっちなんだい?」

そんな問題など、生まれてから一度も考えたことがなかった。しかし何も意見が言えない自分が悔しく、苦し紛れにこう言った。

「ああ、ぼくは、反対はしないかな・・・」

その言葉には、なんの考察も込められていなかった。周りのほとんどが同年代の学生だったので、若いから仕方がない、という言い訳はできない。当時私の英語も下手くそだったが、語学の問題でもなかったたとえ日本語で質問をされても、答えることができなかったからだ。

翌日のランチでは、話題は「死刑は是か非か」になった。 なるべく自分に振られないように目をそらしていたが、そうは問屋がおろしてくれなかった。

「マサアキ、君はどう思う?死刑について」

「あ、ああ、日本では、死刑は合法なんだけどね。は、は、は。そうだなあ、わかんないなあ・・・」

軽薄な対応しかできない自分が情けなくて、薄っぺらさに嫌気がさした。

「そうか。でも死刑制度ってのは、目には目を、歯には歯をみたいな、とても原始的な制度だと思うけどな」

スイス人がつづけた。しかしドイツ人が反論した。

「でもドイツでは、息子を殺された母親が、法廷で犯人を射殺するという事件があったんだ。で、のちの裁判では、母親はたいした罪に問われなかった。ドイツの世論は、母親に同情的な態度をとったんだ。時には殺人も正当化されるのだと・・・」

議論はつづいたが、私の頭の中は真っ白だった。何もいえず、黙って座っているのが精一杯だった。他のみんながそれぞれ意見を述べるたびに、一言一言が私をより深い劣等感へとおとしめていった。

私の劣等感は、肌の色や身体の大きさの違いからではなかった。彼らが自分自身であることを堂々と主張し、自分が軸となって生きているのに対して、それができない負い目からだった。

それまで私が日本で学んできたことは、過去の方法は何かを探り、常識やルールに従いながら「~らしく」することで、基準がいつも自分の外側にあった。だから私個人が何を感じ、何を考えるのかと、誰からも真剣に問われたことがなかった。そこで急に、知らないテーマ「どう考えるか」と尋ねられても、何も出てきようがない

そんな、生まれ育った環境という自分でコントロールできないもので制約されていることが悔しかった。日本という文化で育ってしまったことを恨んだ

もしかして、それは環境の問題ではなく、私自身の個人的な性格の問題だったのかもしれない。しかしすべてを自己責任とするには、やはり納得がいかなかった。できれば、環境のせいにしたかった。

ただしそれは、後ろ向きの姿勢ではない。「日本人として生まれて育ったのだから仕方がない」と、安易に諦めたくなかっただけだ。環境が私を抑圧してきたのであれば、この先の人生は、その抑圧を自ら解き放ってやればいい。

こうして、今まで教え込まれてきたことを脱構築し、再構築する日々がはじまった。

帰国後、世の中すべてについて「自分の意見は何か」という視点で積極的に考えはじめた。知識を増やすために情報を入手するのではなく、どう考えるかの材料として多くの情報を入手し、批判的な精神をもって頭をひねった。積極的にいろいろな人に議論をふっかけ、時には煙たがられもした。そして長期の休み中は、すべて海外ですごした。そうやって何年もつづけていると、だんだんと自分なりの意見が、どんなことに対しても自然と出てくるようになってきた。

そんなとき、語学力が飛躍的に向上していくのを実感できた。伝えたいことが山ほどあり、それを表現するための道具として、語学が必要不可欠になった。それ以来、劣等感も自然と消えていった。

その後、私はアメリカの大学で学び、外資系の企業で働き、ニューヨークやロンドンでも勤務した。そして10年近く世界中をくまなく旅し、旅の途中にイギリスの大学院で人類学を勉強した。大学院の授業では、私は分からないことをどんどん質問し、先生や他の学生と納得いくまで議論をした。世界中の人々と、夜通しで熱い議論をかわすことは日常茶飯事だった。各自が自己をしっかりと持ち、とことんまで話をしあう間柄だからこそ、国境も、人種も、年齢も、性別も意識せず、人間レベルで親しくなり理解しあっていく。

違う国や文化で育った人達とコミュニケーションをとる際、共通する事実の話は限られている。もちろん最初は、お互いの文化について情報交換すればいいかもしれない。日本のことをしっかりと説明できる能力も必要だろう。しかしそれだけでは、たいして間が持たないし、友情や愛情が育まれることもない愛想笑いや、同じ釜の飯を食っただけでは不十分なのである。通訳や翻訳では、決して埋められない大きな溝がある。

自分が「こうありたい」という魂の叫びと、社会が「こうあれ」と要求するプレッシャーの狭間で、私は「こうありたい」をつらぬくために、いろいろと試行錯誤をしてきた。世界の共通語である英語は、そんな私を率直にぶつけても受け入れてくれる、広く寛容な世界へと橋渡しをしてくれた。

私にとって英語とは、国際交流というもの以前に、自分が自分でありつづける、正気を保つためのツールだったのかもしれない。



2012年3月4日日曜日

同性結婚を認めるべきか?

前回投稿した記事「男と男、女と女が結婚できる社会が意味するもの」が大きな反響をよび、BLOGOS編集部が「日本でも同性婚を認めるべき?」という議論の場を作りました。

以下がリンクです。


まだ賛否両論ありますが、こうやって議論がはじまること自体は進歩している証拠だと思います。

賛成、反対にかかわらず、どんな話題でも自由に議論できる社会であってほしいです。ネット上だけでなく、リアルの場でも同じように自由な議論ができればいいですね。





2012年2月24日金曜日

男と男、女と女が結婚できる社会が意味するもの

<この投稿はアゴラおよび、BLOGOSに掲載されています>

友人にゲイの男性がいる。

彼と出会ったのは、戦争の傷跡が生々しく残るボスニアの首都サラエボだった。たまたま同じゲストハウスに滞在し、雑談しているうちに意気投合した。そのあと1週間ほど、バルカン半島を一緒に旅した。

彼が南、私が北へ向かうために旅路を別にした数日後、メールで彼は「そういえば、ゲイだったことを言ってなかったね」と伝えてきた。

見た目や話し方からはまったく想像できなかったし、そんな話題にもならなかった。しかし私が同性愛者ではないことは、それまでの会話から彼は知っていた。そこで私たちの友人関係にとって、彼がゲイであることは特別な意味がなかった。

その後、彼の母国ベルギーへ行ったとき、彼の家に泊めてもらった。そして私がパリとロンドンに住んでいたとき、訪ねてきた彼は私のアパートで泊まっていった。そして日本にも遊びに来た。

私たちは、政治、経済、哲学、文化、アート、スポーツに至るまで、なんでも話題にして、何時間でも議論をした。そしてゲイであることがどういうことなのか、という話になった。

ロンドントラファルガー広場で、周囲の人々を眺めながら彼は言った。

世界のどこの社会にも、必ず同性愛者がいる。だからここから見える、こうやって集まった人たちの中にも、必ずある一定の割合で同性愛者がいるんだ」

彼は人々を指さしながら続けた。

「でも同性愛者って、なにも特別じゃないんだよ。女性の服装をしたり、性転換手術をする人もいるけど、多くの同性愛者は僕のように、外見はストレートの男性や女性とまったく変わらない。そういう人たちのほうが、実は世の中には多いんだよ。たとえば、君がワインが好きでウイスキーが嫌い、みたいな感覚で、僕は男が好きで、女に興味がないだけ。ただ、それだけの違いなんだ」

人にはそれぞれ、好みの違いがある。だから同性愛も、単に性的嗜好という好みの違いに過ぎないのだと、この時はじめて実感した。


先週の2月16日、アメリカでニュージャージー州の上院が、同性の結婚を認めることを賛成多数で可決した。これで同性結婚を認める州は8つ目になる。

世界を見ると、同性結婚が合法化されている国はたくさんある。北欧をはじめとする西ヨーロッパではほぼ全域で認められており、オーストラリア、ニュージーランド、カナダや、中南米でもメキシココロンビア、エクアドル、アルゼンチン、ブラジルなどで合法である。(パートナーシップ法として、男女の婚姻とは別に、実質的に同等の権利を保障する場合もあり、国によって違いがある)

これらの国には、ひとつの大きな共通点がある。個人にどれだけ多様な生き方が保証されているか、つまり社会がどれだけ「寛容」であるかだ。

同性結婚を認めている国では、ほぼ例外なく、男女の平等が世界でもっとも進んでいる。<男>とか<女>というカテゴリーではなく、「本人の意思」が優先され、尊重される社会なのである。それは「結果の平等」ではなく、「機会の平等」を保証しようとする動きにも重なる。

男性と女性は、生物として大きな違いがある。そこで社会が何もしなければ、男女の機会は平等ではない。だから同じチャンスが与えられるように優遇する制度をつくることは、男女が同じ土俵に立つまでの支援にすぎない。機会の平等を保証することで、あとは本人の意思と判断に任せるのだ。結果を同じにすることとはまったく違う。

社会学者のリチャード・フロリダは、同性愛者が住む地域は文化的にオープンで寛容性が高いため、さまざまな才能や人的資本を引きつけ、クリエイティブな人を多く輩出すると語っている。さらにそういった地域は、結果として不動産の価格も上昇するという。

リチャード・フロリダの理論は、大きな論争を巻き起こした。同性愛者の割合よりも、教育レベルの高さが都市の発展に強く関係しているという批判もある。コミュニティーというミクロなレベルで、経済発展と同性愛者の割合が必ずしも一致するかは分からない。しかし少なくとも、寛容なコミュニティーがクリエイティブであることは間違いないだろう。

そしてもうひとつ、とても重要な共通点がある。寛容度の高い国は、生活満足度や幸福度も高いということだ。

見た目が違う人を、差別なく平等に尊重することは、実は分かりやすい。もちろん現実は、世の中にはまだまだ差別が存在する。しかし、見た目の違いは誰にでも明らかなので、その差別を無くすことは、比較的に達成しやすい。

それよりも難しいのは、「意思や好みの違い」を認めることである。

どこの社会でも、同性愛者は目に見えない少数派だ。そこで多数決の原則に従うのであれば、多数派に直接的なメリットのない同性結婚が合法化されることは決してないだろう。

しかし寛容な社会とは、多数派が自分に直接関係がないことでも、少数派の意思を尊重し、権利を認めるのである。それに実際は、多数派にも大きなメリットがある。

あなたが人生で望むことは、すべてが多数派と同じではないだろう。いつあなたが、どこかの少数派に属しても不思議ではない。すべてが平均的な人間など存在しないからだ。

したがって少数派がリスペクトされる社会とは、多様な価値観が認められることであり、より多くの人々が、より自分の意思を実現しやすくなる。それは多数派にとっても住みやすい社会だ。それが「多様化」を推進する本当の意味であり、成熟した民主主義の姿といえる。
個人の違いが尊重される国民の、幸福度が高いのは偶然ではない。

さて、それでは、日本の現状はどうだろうか。

日本では、同性結婚など話題にも上がらない。それどころか、結婚していない親から生まれた子供非嫡出子)の権利が、法的に差別をされている。また男女の平等を評価する「男女平等指数」では、日本は135ヵ国中98位で、一夫多妻を認めているイスラム教国と肩を並べている。ちなみに多くのイスラム教国では、同性愛者は死刑の対象となっている。そして日本の幸福度は、先進国で最低レベルだ。(参照:『幸福途上国ニッポン』目崎雅昭著)

「常識だから」が口癖ならば、「多数が正しい」と盲目的に従っていることになる。
「~らしくしなさい」と強要することは、多数派の型にはめようとする意図がある。
「みんなと同じにしなさい」は、違う人を排除する発想だ。

そういった表現が死語となり、歴史の一部として語られるようになったとき、はじめて日本が寛容な社会だといえるのだろう。そのときが来れば「人と違うことは素晴らしい」と、当たり前のように感じられるはずだ。

どこの社会にも必ず存在する、目に見えない少数派の人たちが、そんな社会に変革されたときの、生きた証人となるのである。





2012年2月16日木曜日

お知らせ(講演会)

3月11日に、世界連邦フォーラムが主催する勉強会で、講演をします。
以下、詳細です。

ピースビレッジ第1回

「人を幸せにする社会と、そうでない社会。日本は幸福途上国か?」

講 師:目崎雅昭

時 間:14:00~16:30

会 場:日比谷図書文化館 4Fスタジオプラス(小ホール)
     千代田区日比谷公園1番4号(旧・都立日比谷図書館)

参加費:会員2,000円 非会員3,000円

申 込:WEBから事前予約制。
http://www.wfmjapan.com/program/2012/03/11105128.php

支 払:講演当日会場にて現金でお支払い下さい。

主 催:世界連邦21世紀フォーラム

3・11からすでに1年が経とうとしています。しかし東日本に限らず、日本ではいまだに多くの問題が山積みです。そういったいろいろな社会問題を考えるとき、忘れてはいけない非常に重要な点があります。それは、最終的にどのような社会や国を目指すのか、という方向性です。つまり、何のために社会があり、国があるのか、という根本をしっかりと把握することです。そのひとつとして「人が幸せに暮らせる社会」は、究極的な目的となるでしょう。

では、どうすれば「幸せな社会」が実現するのでしょうか。近年ではブータンがよく話題に出ますが、私の個人的な意見として(実際に現地へ訪れたことも踏まえ)、メディアが実情以上に賞賛していると思います。しかし世界中の国々をいろいろな角度で見渡すと、実は一貫した「人を幸せにしやすい社会」の傾向が見えてくるのも事実です。どのような社会で人が幸せに成りやすく、また人を不幸にするのか、文化や社会の構造という視点から、個人と社会との関わりについて考えたいと思います。そして
「個人の幸福の追求」と「社会への貢献」が同じ延長線上にある「社会個人主義」を提言したいと思います。


2012年2月1日水曜日

異文化を真に理解するためのボーダーライン

<この投稿は言論プラットフォーム・アゴラおよび、BLOGOSに掲載されています>

ある日本人女性の話を紹介したい。

Sさんは、ネットで出会ったデンマーク人男性結婚し、デンマークに移住した。それまでSさんは海外生活の経験はほとんどなく、語学も特別に堪能ではなかった。夫とは当初、英語でコミュニケーションを取っていたが、徐々にデンマーク語切り替えるようになった。

現地での生活にも慣れてきたころ、Sさんは働きはじめることにした。
といっても、語学のハンデがあるため、現地の人と同じレベルで仕事を見つけるのは難しい。結局彼女は、日本食のレストランで働くことになった。

もともと真面目で責任感も強いSさんは、しっかりと仕事をこなし、すぐにみんなから信頼を得るようになった。店長からも強い信頼を得て、だんだんと彼女の存在なくして、店がまわらなくなるのほどになってきた。

デンマーク人の他の店員たちは、自分の勤務時間が終わると、たとえ仕事が中途半端でも、さっさと帰ってしまう。お客さんに対しても、サービスより自分の生活を優先するかのようだった。そこで、仕事のしわ寄せがすべてSさんにかかってきた。だんだんと彼女の仕事量は増えていき、周囲の人たちも、彼女に依存する度合いが増えてきた。

やがて店長がやり残した仕事まで、Sさんがやることになった。任されることに充実感はあったが、彼女の心には不満がだんだんと蓄積されていた。Sさんの仕事が増えていることに対して、周囲の人たちは、あたかも当然のように扱っていたからだ。

『私がこれだけみんなのために一生懸命に働いているのに、なんで私のことを理解してくれないの?

Sさんは自分のやっている事を認めてもらい、できれば感謝の気持ちを表してほしかった。給料の問題ではなかった。

デンマークのような個人主義の人たちは、あまりにも自分勝手すぎる。この人たちには、人の気持ちを理解する能力がないのだろうか?』

ある日Sさんは、すべての不満を夫にぶちまけた
黙って聞いていた夫は、諭すように彼女に言った。

「周囲の人たちは、君が余分な仕事をしていることを、君が好きでやっていると思っているのだよ。だから感謝する必要はないでしょ」

そのひと言で、Sさんの世界観ガラガラと音を立てて崩れていった。

よく考えてみると、デンマークでは、社会的弱者少数派への配慮は、日本よりも断然すすんでいる。個人を尊重するからこそ、みんなと違う人たちも同等に尊重するのである。街中で重い荷物を持っていると、見知らぬ人当たり前のように、無言で手伝ってくれる。

相手に自分のルールを押しつけるのではなく、「本人が何をしたいのか」優先され、それと社会のルールに折り合いをつけていくのである。それが彼らの「気遣い」であり、「やさしさ」となる。つまり、人が個として存在する根幹となる「個人の意思」への最大限の配慮なのである。だから自分の行動には、自分の意思が反映されていることが前提となる。

以上のエピソードには、もうひとつ大切な点がある。

海外に出た経験のある多くの日本人は、Sさんと似た経験があるかもしれない。しかしSさんの夫のような人と実際にコミュニケーションを取る機会がある人は、どれだけいるだろうか。もちろん友人でも構わない。要するに、文化の違いに戸惑いや疑問を感じたとき、それを率直にぶつけることができ、それに対して「彼らの弁明」をきちんと説明してくれる相手がいるか、ということだ。つまり、きちんとした「対話」の経験である。

文化人類学(イギリスでは社会人類学)では、20世紀初頭にポーランド人マリノフスキー「参与観察」と呼ばれる、フィールドワークの手法を持ち込んだ。それまで人類学は、「机上の空論」的な要素が強かったからだ。マリノフスキーは、自らニューギニアのトロブリアン諸島へ足を運び、現地の言葉を学び、現地の人と同じ生活をすることで、現地の人々と同じ感覚で生活できるまで滞在をつづけた。

他の文化を真に理解するには、その文化の内側に同化する必要がある。他者の習慣を無意識に再現できるほど肌で感じられなければ、理解は表層的なもので終わってしまう。それは必ずしも、時間の問題ではない。たとえ何年も海外に住んでいても、ほとんどの時間を日本人と接し日本のニュースやエンターテイメントを追うことに終始していたのでは、現地の文化を理解すること不可能だろう。

相手の文化の内側に入りながらも、外部としての視点を保つからこそ、その文化を客観的に分析できるのである。それは、日本を理解するために、日本のことだけを学んでも、日本を客観的にみることができないのと同じだ。

きちんとコミュニケーションできる相手と出会わなければ、「気が利かない欧米人とは付き合えない」などと、安易な結論で帰国してしまうのがオチだろう。身体は海外でも、頭の中は日本から出国していないのだから、日本以外のルールに適応できないのは当然だ。特に個人主義の世界を理解するには、対話が絶対に不可欠となる。それが一線を越えられるかの大きな鍵だ。

ただし、日本人の男性と女性で、一線を越えるハードルの高さは違う。

日本人女性の場合、たとえ語学ができなくとも、男は女性を獲得するために、いろいろと努力をしてくれる。だから最初は言葉が通じなくとも、結果として言葉を学び、生活習慣も学べる可能性が高い。

しかし日本人男性にとって、言葉が通じなければ、誰も努力して相手をしてくれないビジネスなどの、明確な利害関係がある場合は例外だが、それは所詮ビジネスの関係なので、相手も本音を出すことはない。その上、語学だけの問題ではない。普段からいろいろな事についてしっかりとした自分の意見がなければ、いくら語学を勉強したところで、相手との話題はすぐに無くなってしまう

だから日本人男性海外経験をしても、嫌になって帰国する人は少なくない。対話を経験せず、「あいつらとは理解しあえない」というレベルで帰国してしまう。とくに日本社会のエリートにありがちだ。そして「やっぱり日本が一番」と、内向きの発想になってしまう。それが劣等感の裏返しという自覚はない。

できれば学生として、早いうちに海外の経験を得たほうが、他の文化を理解できる可能性が確実に高くなる。学生同士ならば、話題がつづかなければ関係は継続されない。だからそこ、人間として個人の魅力が問われてくる。

そんな環境で出来た友人ならば、どんなことでも話し合うことができる。お互いが自分自身をさらけ出し時にはぶつかり合うことがあっても、それを認め合うことができるからこそ、本当の交流が生まれ、他の文化を理解できるのである。

盲目的で、排他的な愛国心ではなく、他の文化を肌で感じて心から理解するからこそ、自国客観的に判断して心から愛することができるのではないだろうか。

日本を理解したいならばこそ、あえて海を渡り彼らの習慣を学ぶべきなのだ。そうやって培ったものこそが、本当に健全な愛国心だと思う。



2012年1月25日水曜日

新春ミーティング: 3.11から日本の未来を考える

先日、こちらでも紹介した「Well-being Lab 新春ミーティング: 3.11から日本の未来を考える」で講演をしてきた。

場所は、コワーキング・スペースCEROで、秋葉原駅の目の前に建つ古い雑居ビル。このビル、昭和のにおいが残るレトロ感がプンプン。最初に足を踏み入れたとき、「こんな場所?」と正直思った。

イメージとしては、整理されてない書類がそこいらじゅうに山積みになり、その裏で不健康そうなおじさんが黙々と仕事をしてる事務所が、ずらっと肩をならべているような雑居ビル。


それが、CEROのドアを開けると、別世界が広がっている。


このギャップがなかなか面白い。白い壁に原色の赤と青の家具がアクセントになっている。秘密の隠れ家にやって来た感覚になる。

会場には30名近い方々が集まり、「Well-being Lab 新春ミーティング: 3.11から日本の未来を考える」がはじまった。まず、司会の小笠原さん(写真右)のお話から、私の講演へ。




3/11以後、いまだに問題は山積みとなっている。しかし多くの問題は、日本全体の問題にも共通している。そういった問題を考えるときに一番重要なことは、最終的にどのような社会や国を描いているのか、というビジョンである。

人類にとって大きな課題のひとつとして、生き残りがある。しかし先進国となった日本では、生き残りだけでは不十分だろう。すると、つぎに重要となってくるものこそ、どれだけ幸せに生きるか、ではないだろうか。

なんだかんだ言っても、最終的に判断するのは、個人の主観である。それ以上でもそれ以下でもない。嬉しいことも、悲しいことも、どれだけ感動するかも、それは自分の主観で判断する。だから幸福は、主観で体験できる最高の感情ともいえるだろう。

人間と他の動物には、決定的に違うことがある。自らの存在に「なぜ生きているのか」意味を問い始めたことだ。そのために、私たちには「生きる意味」が必要となる。これも主観の産物だ。だからこそ、私たちは自分自身の思考感情最大限に尊重しなければならない。

しかし現在の日本では、主観として「生活に満足している人」や、「幸せと感じている人」があまり多くない。驚くことに、それは1958年から変わっていない経済成長とはまったく別の問題であり、格差や年金の問題などもほぼ関係ない

それは、日本社会の本質的な、社会構造の問題なのである。


日本人で、「幸せに生きることが人生で一番大切」と思っている人はあまり多くない。幸せに生きることが最優先課題ではないのだから、当たり前といえば当たり前の結果だろう。

幸せは、個々人が主観で感じるもの。人それぞれが違う。だからこそ、個人に人生の決定権がなければ、その人生の満足度はあがらない。しかし日本の社会では、個人が好きなことをやるのではなく、いつも「場の空気」に従うことが要求される。だから個人の存在は、小さければ小さいほど良いことになってくる。だから「みんなと同じ事をするのが幸せだ!」という発想まで出てくる。

しかし結果として、日本人はあまり幸せを感じていない。誰がどう調査しても、結果はほとんど変わらない。日本の会社で務める社員の満足度も、あまり高くない企業が多い。これも一貫している。そして自殺率も非常に高い

個人の満足度が高い社会では、個人の自由が尊重され、人と違うことが良いこととされる。つまり多様化が奨励されている。どんな立場の人であっても、その人なりの「幸せ」を追求することが尊重されているのである。

だからといって、個人が何でも好き勝手なことをやればいい、という話ではない。個人の権利を最大限に尊重しながら、社会との関わり合いを同時に達成する必要がある。しかし、それらは矛盾することではない。個人の欲求の中でも、社会に認められたい欲求や、人に感謝されたい欲求は非常に強い。「好きなこと」の中に「社会貢献」が入るひとは沢山いる。

そこで私は、社会個人主義を提言する。(詳しくはこちら
これこそが、今後の社会のビジョンとなるべきだろう。

**

詳細と途中の話をほとんど省いたが、大体以上のような内容だった。
そしてつぎに、坪井久人さんがCharity Japanについての講演に入った。
(写真右が坪井さん)


チャリティージャパンは、日本最大級の総合チャリティー情報ポータルサイト。サイトでは各分野で活躍している人々のインタビューなども掲載されている。坪井さんはまだ20代だが、積極的にこのような活動をしていることは、率直に素晴らしいと思う。

その後、参加者の方々と3つのグループに分かれて、対話を行った。

やはり大人数で質問を受けるよりも、小さなグループのほうが活発に発言する人が多くなる。議論は白熱していき、時間が終了した後でも、半分以上の人々がそのまま残って終電間際まで議論はつづいた。

参加した皆様、たくさんの興味深いご意見をありがとうございました。小笠原さん、坪井さん、お疲れ様でした。そして主催して下さった長尾さん、堀畑さん、ありがとうございました!


2012年1月16日月曜日

説明しないことが奨励される社会の、大きな代償

<以下の文は、言論プラットフォームアゴラにも掲載されています>


「黙って、とりあえずやりなさい」
という表現をよく耳にする。

そしてブルース・リー「頭で考えるな、肌でつかめ」は有名だ。
こういった姿勢はスポーツだけでなく、日本では勉強社会道徳を学ぶことにも使われている。

しかし、これには実はとてつもなく大きな代償があることを見落としている。

たとえば、格闘技の世界を考えてみる。
格闘技で相手と対戦するとき、いちいち頭で考えている時間はない。反応するスピードが遅くなるからだ。だからこそ「肌でつかめ」の感覚を取得することは、達人の域に入ることになる。

しかし私が高校一年生で空手を始めたとき、先輩はきちんと「なぜ空手の突きは破壊力があるか」を、力学的に説明してくれた。全身のすべての筋力を効率よく動かすことで、パワーすべてを拳に集中する方法だ。「正拳突き」の威力は、単なる筋力の結果ではない

技を取得する前に、理論的な裏付け充分納得できただけでなく、なんとなくイメージも湧いたので、私は練習に没頭することができた。そのうちに、「どうすればもっとパワーのある突きや蹴りを出せるか」を、自分でも考えはじめるようになった。

もしも「リクツじゃない。黙って従いなさい」と言われ、ろくな説明も無しに練習をさせられていたら、私はあまり空手に魅力を感じなかっただろう。

そうはいっても最終的には、身体にしみ込むほどくり返し練習することで、「肌でつかめ」という感覚に達することは間違いない。しかし私が問題にしているのは、一番最初にどうやって意思決定をしているか、という点である。

別のたとえを考えてみる。ダンスの場合だ。
多くの日本人にとって、ダンスの基本形は「盆踊り」だろう。先日テレビで、ダンスが小学校から必修科目になる、というニュースを放送していたが、そのときダンスの指導者はインタビューで「ダンスは憶えることですから」と答えていた。つまりダンスは、「集団で音楽に合わせてあらかじめ決まった動きをすること」という認識なのだろう。

数年前、私はブエノスアイレスタンゴを習っていた。タンゴは男性が100%リードするので、男性は特に多くのステップ(動き)をおぼえる必要がある。しかしアルゼンチン人のタンゴの先生は、「ステップは重要ではない。音楽を聴き、それをどうやって自分なりに表現するかだ」と力説していた。来日経験が何度もあるその先生は、「日本人の男性は、沢山のステップを知ってるひとはいるが、ダンスを踊ってる人は少ない」と語っていた。

たしかに私にとっての一番大きなハードルは、「音楽をどうやって自分なりに身体で表現するか」だった。青年時代にディスコ(古い?!)で踊っていたときは、本当に心から踊っている感覚はなかった。周囲の人たちの踊り方を真似て、なんとなくカッコイイと思われる形で動いていた。言うまでもなく、音楽を自分だけの解釈で表現することはなかった。しかし私がこれまで見てきた世界中の国々では、ダンスをする人たちはカッコイイかどうかは二の次で、率直に音楽を身体で表現していた。

ダンスの根本は、自分の意思を外側に発信する「内面の表現」だ。「音楽」「身体の表現」一対一ではないし、あらかじめ決められたものでもない。その時々の自分の感情や受け止め方によっても変化する。しかし私は、盆踊りの「音楽に従って決められた形をする」を刷り込まれて大人になってしまった。

もちろん日本の盆踊りは、文化としてきちんと存在意義があるだろう。しかし私にとって最初のダンスとしての盆踊りが身体の自由を奪ってしまったために、感情と身体が一致できない自分がもどかしかった。だからそのギャップを埋めるために、これまでいろいろと試行錯誤をした。インドで一年以上も没頭した瞑想も、自己の一貫性を取り戻すための修行だった。

冒頭でもふれたが、このテーマは運動だけの話ではない

子供は誰でも、「どうして?」と質問をする。しかしその質問に対して、「うるさいから、黙ってやりなさい!」と大人が言い続けると、そのうちに子供は質問をしなくなるだろう。そして、黙って何でも親に従う子供「よい子」として賞賛されていく。

すると、子供はそのうち「なぜ」という疑問さえ持たなくなってくる。その後は、「それが社会だから」とか「世の中はそういうものだから」以上に詮索するのをやめてしまう。周囲と同じ事をやっていれば、少なくとも批判されることはないからだ。

そうやって大人になった者は、今度は子供達から「どうして?」と質問されても、「そういうものだから」としか答えることができない。それ以上に「なぜ?」と聞かれると、「いいから、黙って従いなさい!」となってしまう。自分がそうやってきたのだから、当然といえば当然の結果だろう。

日本在住の外国人の友人から、こう指摘されたことがある。
「どうして日本人の母親は、いつもあれダメ、これダメと、ダメばかりいうのか?あれでは、子供が萎縮してしまうでしょう」

その通りだと思った。萎縮した子供萎縮した大人になり、自分の外側にある「常識」に従うことを絶対視する。それは、自己が喪失していくことを意味しないだろうか。

「しつけ」とは、「既存のルールに盲目的に服従させる」ことではないはずだ。子供であってもきちんと説明をすれば、たいていは納得できる。納得しないなら、まず最初に説明が不十分だと思うべきだろう。もしも説明できないならば、それを自分が最初に憶えたときに、どうやって学んだのかを思い出してみるといい。おそらく、黙って服従した自分を発見できるだろう。

「納得しないことに従う」ことを幼少期から課すことは、成長の段階で本人の「意思」を抑圧することになる。誤解されないように強調したいが、「従うこと」自体が問題なのではない「黙って従う」ことと、「納得して従う」ことは決定的に違う。

自分の心と体に一貫して「イエス」と言えることが、「納得する」という行為だ。しかし納得せずに、黙って従いつづけ、それが当たり前になってしまうと、自分の「意思」も限りなくゼロになっていくだろう。結果として、いくら形やルールを憶えたとしても、自分の意思を犠牲にするほど、そこに価値はあるのだろうか。本人の意思が軽視されることは、人間としての尊厳を失うことに等しい。

意思とは、ひとりひとり固有の、自分を自分としている最小単位の根源である。意思があるから、その人の個性が生まれ、人間としての魅力も出てくる。意思がなければ、それは魂のない人間と同じだろう。

仕方がないから。
それが世の中だから。
ダメなものは、ダメでしょ。

こういったものが口癖ならば、自分の「意思の存在」を疑う必要がある。
「それが日本人の国民性だ」
「日本の文化だから変える必要はない」
などと、安易な反論がでてくる場合も要注意だ。

そもそも文化とは何か。そして、何のために文化があり、なぜ社会が存在しているのか、という点にも疑問を持たなければいけない。「文化」や「伝統」という名の下に、どれだけの意思が潰されていき、どれだけの個性と人間性が犠牲になっているのか、見落とすべきではない。

日本には、「自分が本当に何をしたいのか、よくわからない」と言う人が多い。自分としっかり向き合っていなければ、分からないのは当然だろう。自分と向き合うためには、自分の意思を明確に知る必要がある。

もう一度、ここでくり返したい。「黙って従う」ことと、「納得して従う」ことは決定的に違う。自分で納得した規則やルールならば、それに従うことは苦にならない。それは社会のルールや法律も同じだろう。自分たちで社会のルールを作っているという自覚があれば、そのルールに従うことに誇りさえ感じるだろう。自分の意思が反映されているという実感は、「自由」という感覚にもつながってくる。

もしも今度、誰かに「つべこべいわず、黙ってやりなさい」と言いそうになったら、それは相手の魂を抑圧する行為だと自覚すべきだろう。そして、きちんと説明できない自分をもういちど見つめ直す、絶好のチャンスとすべきではないだろうか。

2012年1月6日金曜日

お知らせ(参加者募集)

神頼みを一切やめてから、すでに20年以上は過ぎました。
だからといって、すべてが自分次第とは思っていません
自分ができることを、簡単に放棄したくないと感じているだけです。
自分自身が弱い存在だと自ら実感しているからこそ、
己を甘やかさないための処置でもあります。
毎年この時期になると、そんな気持ちをあらためて確認しています。


さて、以下はお知らせです。

今月の1月19日、秋葉原にあるコワーキング・スペースCEROにて、
「Well-being Lab 新春ミーティング: 3.11から日本の未来を考える」
を開催します。
(Well-being Labは、長尾さんが代表の研究所です)

詳細は以下になります。
参加ご希望の方は、フェイスブックのアカウントをお持ちの場合はこちらから、それ以外の方は、以下のアドレスへお名前を明記してご連絡ください。

以下、FBサイトからのコピーです。


2011年3月11日、未曾有の大震災を通し、日本社会は今まで抱えていた様々な問題を一挙に露呈し、人々の意識や生き方を根元的に変えることになりました。


放射能流出からの風評被害、被災地への政府の対応状況に対する政治不信等が雪崩的に広がると同時に、被災地では少子高齢化や過疎化を抱えながら、復興・復活への第一歩となる2012年を迎えます。


今回は、「幸福途上国ニッポン」の著者・目崎雅昭さんと、チャリティ情報ポールサイト「Charity Japan」の運営者・坪井久人さんをお迎えし、今後どのようにして幸せな未来社会の青写真を描くのか?・・・参加者皆さんと共に考える時間にしたいと思います。


■目崎雅昭さんからのメッセージ
 3.11からの復興も含め、日本は社会としてどのようなビジョンを持つべきなのでしょうか。単なる経済発展だけでは不十分なことは明らかでしょうが、だからといって、資本主義を真っ向から否定することも得策には思えません。個人の幸福の追求と、社会の秩序や安定は、必ずしも相反するものではありません。どうすればそんな社会を実現できるのか、「幸福」をキーワードに「日本の未来ビジョン」を皆さんと一緒に考えませんか。


■坪井久人さんのCharity Japan サイト
 http://charity-japan.com/


●日 時 : 2012年1月19日(木)19時~22時
●場 所 : Coworking Place CERO 秋葉原
●参加費 : 2,000円(ドリンク+お菓子付)
●定 員 : 40人(定員になり次第締め切らせていただきます)
●主 催 : Well-being Lab.(幸せ研究所)