2011年7月24日日曜日

一枚の絵

一枚の絵が、いろいろなストーリーを語ってくれることがある。



















「こいつねえ、波に持っていかれちゃったんだよ・・・」

宮城県石巻市で被災した、男性の言葉だ。

NPO法人フラワーピーフルがボランティア活動の一環として、プライマル・ペインティングという絵の具を使って色を楽しむワークショップを開催した時のことだった。



































(写真上: 「ほくと」を描いた男性)

会場では、大人も子供も一緒になって、「色の遊び」を体験。





































ちかいうちに、出来上がった作品を展示する予定らしいです。


「ほくと」の絵が、どうしても頭から離れない。

こういう作品を販売できるなら、非常に有効な被災者支援のひとつになるのだろう・・・。


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2011年7月22日金曜日

インタービュー記事

本日(2011年7月22日付)の埼玉建設新聞に、インタビュー記事が掲載されました。


2011年7月17日日曜日

城繁幸氏の書評

コンサルタントとして活躍している城繁幸氏が、ブログJoe's Laboで、
幸福途上国ニッポン』を取り上げて下さいました。

城繁幸氏のブログ

以下に、本文を貼り付けておきます。
素晴らしい書評をありがとうございました!

世界100カ国を10年かけて回ったという著者が、各地域での経験をからめつつ、様々なアングルから“幸福度”を分析する。

経済力のわりに日本人の幸福度は高くないという話は、以前からわりと有名だ。実際、いろいろな調査を見ても、日本の幸福度は低迷している。
「長引く不況のせいだ」となんとなく思っている人もいるかもしれない。
だが、実は1950年代からバブル期を通じて現在にいたるまで、日本人の幸福度はほとんど変わっていないのだという。日本人にとって、幸福とは何を意味するのだろう。
ここから、本書の幸福度を巡る旅はスタートする。

まず、世界各国を比較してみても、格差と幸福度にはそれほどの相関関係は見られない。
たとえば90年代前半の日本は世界で2番目に格差の小さな国だったが、134か国中62位に転落した2008年も、幸福度に変化は見られない。

逆に、強い相関関係が見られるのが、多様性に対しての寛容さだ。
男女間の格差の小ささはもちろん、同性間の結婚まで認められているような国は、総じて幸福度が高い。
多様性の意味するものは、「個人の選択の自由」である。

実際に統計を見ても、自主性と幸福度との相関関係は、所得と幸福度との相関より20倍もある。
社会的地位や所得に関係なく、自分で自分の生活の管理ができる機会がある人のほうが、生活満足度が高いことも明らかになった。(中略)自分の意思で選択し、その選択に責任を持つという精神があれば、どのような人生を送っても幸福度は高い。結果が問題なのではない。どうやって生きるかが重要なのである。


その点、日本人は自分で自分の舵を取っていると言えるだろうか。

本書では本当に色々な調査結果が引用されていて、そこからは経済大国日本のもう一つの姿がくっきりと浮かび上がっている。
たとえば、以下の質問に対してYESと答えた日本人の割合は、世界最低水準だ。

楽しい時間を過ごすことは重要か?
選択の自由はあるか?
国を誇りに思っているか?

つまり、日本人は、楽しい時間を過ごしてはいけないと思い、選択の自由があまりないと感じ、自らの意思をあまり反映できない人生を過ごしているということになる。

そして著者は、ドイツの社会心理学者エーリッヒ・フロムの言葉を引用しつつ、自己の自発的な行為が、より高い次元での精神的安定をつくりだし、世界との新しい絆をつくることが出来ると説く。
「選択の幅が無い」とか「人生が一般勝負すぎる」という点については、恐らく多くの人がうすうす感じていることだと思われる。それを見事に一本の絵物語のように明快に解説してくれる良書だ。

日本が個人の幸福度を高めるためには、著者の提言するような社会個人主義を実現させるしかないが、それはどこかにあるボタンを押すことではなく、我々自身が変わるしかない。
最後に著者の言葉を引用しておこう。

集団主義であるかぎりは、寛容な社会にはなりえない。
協調性を強いることは「異質な個人を涵養しない」と同じである。



ここからは私見。
実は大企業や労組が従業員の満足度調査をやると、たいてい上記のように
「楽しくない、選択の自由が無い、子供には入社を薦めたくない」というようなゲンナリするような結果が出るものだ。

恐らく、この問題は雇用問題ともリンクしている。
社会においても企業においても「やらされている感」から「自分で選択している感」にシフトさせることが、幸福度や満足度を向上させるうえでの目指すべき方向性だ。

規制とか正社員転換などという言葉の先に待っているのは、少なくなる椅子をめぐる
「さらなる選択肢の少ない社会」でしかないだろう。

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2011年7月15日金曜日

南米から届いた読後感想

現在南米エクアドルに滞在している友人、ゆうこさんが、『幸福途上国ニッポン』の読後感想文をブログに書いてくれました。(ありがとう!)

南米は世界でも幸福度が高く、また自分の人生が自由であると感じる人が最も多い国でもあります。

そんな地域に住むひとりの日本人の視点なので、新鮮なものがありました。
ちなみに、ゆうこさんは夫婦で世界一周を経験しています。

ブログのリンクはこちらですが、以下に本文を添付します。

(文中の「まぁくん」とは私の事です)

2日間で一気に読み切りました。読み終わった後の率直な感想は、感動と共感と、若干の戸惑いが一気に来た事でした。

感動はまぁくんの10年間の旅での想いと、夢を叶えてこんなに素敵な本を書き上げてる事に関して。

共感は、まぁくんの幸せについての結論が、私が去年そうなんじゃないかと思って南米に単身赴任を決めた考え方と非常に似通っていた点です。

これはちょっとびっくりでした。
私は国家についてとかは正直あまり深く考えた事がなく、個人の幸せと企業の在り方について去年凄く考えました。

正直カタラタスは上手くいっていましたが、確かに日本社会の中で集団主義的な抑圧は常に感じていた様に思います。

それで、本当にこのままでいいのかなって真剣に悩んだ時から、人生の目的や幸せ、夫婦の在り方について考える様になりました。

まさに「自由の重荷から逃れて新しい依存と従属を求めるか、あるいは人間の独自性と個性に基づいた積極的な自由の完全な実現に進むかの、二者択一に迫られている」状況でした。

私は多分自分でも自己実現欲が強い様な気がしますが、なお(主人)にこの事を正直に話しても正直理解して貰えるかどうか不安でした。

でも、結局今むしろ表面上楽に見える店の一部でずっと働くと言う「自ら進んで大きな機械の歯車となる事で孤独は避けられるかも知れない」生き方を選んだら、きっと将来自分で選択したにも関わらず、過ぎてしまった取り返しのつかない事を店やなおのせいにして責める事によって自分を犠牲者にして正当化する生き方になり、最悪の場合夫婦関係も崩壊すると思いました。

なので、例え不安だったり、身勝手だと周りに批判されたりしても自発的な活動を通して自我の統一を実現し、最終的にはお店にも貢献できる自分になろうと決めたのです。

今は自分が幸せを感じているから店を愛する事も出来、なおに感謝する事も出来、出来る限りの協力を惜しまない姿勢を持てる様になりました。

これがみなの意識の中で国家レベルに達した時、まぁくんの言う「社会個人主義」が実現するのかなと思いました。

また、最後に若干の戸惑いについてですが、この本を読ませて頂いて、自分の無意識に捕らわれているいくつかの概念に気が付きました。

「迷惑」と「批判」についての章では、私の考え方は非常に日本人的であると気が付きました。

上下関係を秩序や尊敬の為にある程度は必要であると思っている点は儒教の影響だったとは全く気が付いていませんでしたし・・・。

完全に納得出来てなくても何となく丸く収める為には時には個を犠牲にする必要もある・・・とも思っている所もあります。

日常の小さな事では非常に日本人的です。

そして多くの日本人と同じく、「批判」と「議論」には非常に弱く、感情的になりやすいです。
批判されたらもう自分が悪いと思う日本人の典型みたいな思考パターンが自分にもあるなと思いました。

モンスターペアレンツの例はとても分かりやすかったですが、私もこれからそんな状況が来たらこの例を思い出して、たわごとと新しい奇抜な意見の見極めを冷静に出来る様に心掛けたいと思います。

今エクアドルで5カ月程過ごしてみて、エクアドルは南米の中では幸福実感度は低めな様ですが、それでも日本人に比べて随分毎日を楽しんでるなと感じる事が多いです。

先日、クイヤベノ自然保護区の中にジャングルロッジを経営している社長さんとワインを飲みましたが、彼との話の中でも、「人生は短い。だから楽しまなきゃいけないよ」と何度か言われました。

彼は元エクアドルの軍隊にいて、ペルーとのジャングルでの戦争などを体験しその体験記を出したりもしていますが、人の死等、最悪な事態や最高の気分も経験して、結論はやはり今プレゼントされている人生を楽しむ事だと語っていました。

今回まぁくんの本で今まで何となく思っていた事が統計学や心理学に基づいてスッキリ証明された様な気持ちです。

寛容な心は今よりもっと意識して育てつつ、これからも自分の内なる声に正直に生きていきたいと思いました。

素敵な本を有難う御座いました!!


そしてこの数日後、スペイン語の学校で先生とこの本の内容について話しました。

すると、面白い事が分かってきました。

先生:「ゆうこは日本にいる時よりエクアドルの方が自由な感じがする??」

私:「はい、何でだか分かりませんがそんな気がします。本にも書いてありますが、日本は法律等眼に見える制約ではなく、多分常識とか空気みたいな物が存在するんだと思います。」

先生:「不思議な事に、私の弟はノルウェ-に移住したんだけど、帰って来たら全然別人になってたの。仕事仕事っていつも仕事の事考えて。。。エクアドルにいた時はあんなじゃなかったのに。」

私:「じゃあ人種とか関係なく、住む国によってその人のキャラクタ-も影響を受けて変わっちゃうって事ですか?」

先生:「多分そうだと思う。」

との事。

人種や文化ではなく、住む国の雰囲気や常識によって幸福度が変わってくるとしたら、桃源郷を探すって言う発想は強ち逃げとは言えない部分もあるのかも知れないなと思いました。

自分が自分らしく、幸せと感じられる場所を見付けて住むのも1つのライフスタイルだと思います。

全ては自分!!

と良く耳にしますが、本当にその通りだと思います。

自分で自分を先ず幸せにして、好きな事の中で与えられた才能を磨く事で、大きな目で見たら結果的に社会に最大限貢献できる自分になれると言う事だと思います。

日本人に生まれた以上、世界のどこで活躍しても色々な形で日本に還元出来る訳ですからね★

そんな事とか、色んな事を考える事が出来た本でした。

ご興味があれは是非♪

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2011年7月4日月曜日

サモハン

友人が、拙著『幸福途上国ニッポン』についてブログに書いてくれました。
http://hiratomo.com/59489721

友達だからと単に持ち上げて誉めるのではなく、なるべく客観的に、冷静に語ろうとしている彼の姿勢に、男の愛情を感じました。

彼は高校時代に香港映画俳優「サモハン・キンポー」に似ていたので、「サモハン」と呼ばれていました。(たぶん私の命名です)

空手部に入部した当時、サモハンは現在の姿からは想像もできないほどのメタボ体型でした。そこで先輩達からは特に目を付けられ、しごきが酷い時など、サモハンは格好の餌食にされていました。

しかし文字通り「地獄のような毎日」の練習の結果(現在ならば、間違いなく社会問題になっているでしょう)サモハンの顔は、みるみると精悍な顔つきになっていきました。

無類の努力家でもあるサモハンは、最後は空手の型のレギュラー選手となりました。さらに彼の凄いところは、大学で少林寺拳法部に入部し、なんと全国大会で優勝まで果たしたのです。

大学時代にキャンパスでサモハンに出会ったとき、挨拶代わりにふざけて背後から軽く蹴りを入れてみました。すると瞬間的にかわされ、すかさずカウンターの蹴りを3発食ってしまいました。それも凄い早さで。周囲にいた女子大生の目がすっかりハートでした。(今度会ったときに、また試してみようと思ってます)

今では「サモハン」と呼んでも、なぜなのか誰も理解できないでしょう。
でも私にとって、彼はいつまでもサモハンであり、サモハンがサモハンに見えないところが、サモハンを最もサモハンらしくしているのだと、勝手に思っています。

サモハンのブログ:
http://hiratomo.com/59489721



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2011年7月3日日曜日

書店営業デビュー

先日、都内の有名書店15店舗に営業をしてきた。

書籍コーディネーターの小山氏に同行していただき、書店員の方に拙著の宣伝をお願いするのが目的だ。

今までまったく知らなかったのは、大きな書店では売り場ごとに担当の書店員さんが違うこと。そして各担当の方の裁量で、本の並べ方が違ってくる。

幸福途上国ニッポン』はまだ発売直後であり、やはりソニー元社長・出井さんの帯のインパクトもあり、平積みか、もしくは縦置きで表紙が見えるように目立つところに置かれている店が多かった。(ありがとうございます!)





書店員さんにお礼を伝え、手書きのポップを渡すと、すぐに取り付けてくれるお店もあった。

(ブックファースト渋谷店さん、有り難うございます!)

数日後には、友人が別の店の写真を送ってきてくれた。


でも、これだと帯が隠れてしまっている。どちらがいいのか、よくわからない。

まったく対照的に、某大手書店の渋谷店などで、一冊のみが棚に刺してあるだけというお店もあった。うーん、これは難しいだろう。

来週は、横浜近辺を中心にまわって行こうと思う。

誰かが「本を書く努力と、本を売る努力は同じくらいにやらないといけない」と言っていた。

まったくその通りなのかもしれない。


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