2010年6月21日月曜日

遺族感情か、それとも多様で寛容な社会か

「イスラム教について知る必要のあることはすべて9・11で学んだ!」
("All I need to know about Islam I learned on 9/11")
というプラカードを掲げた、数百人規模のデモ行進が6月6日、ニューヨークのマンハッタンで行われた。「グラウンド・ゼロ」付近でのモスク(イスラム礼拝所)建設に反対する人々である。

「グラウンド・ゼロ」とは、9・11米同時多発テロで倒壊したニューヨークのワールドトレードセンタービル(世界貿易センタービル)跡地である。約3000人が犠牲となった同時多発テロの傷跡は、まだ多くのアメリカ人の心に深く残っている。しかしそのわずか2ブロック先に、イスラム教のモスクを建設する計画が浮上している。ニューヨークのイマム(イスラム教の指導者)フェイサル・アブドゥル・ラウフ(Feisal Abdul Rauf)師は、モスクを中心とするイスラム教センター設立の準備を進めている。




イスラム教徒以外にも解放、「架け橋」めざす




モスクにはスポーツ施設や映画館、デイケア・センターなども併設し、イスラム教徒だけでなくあらゆる人に利用を開放する方針で、イスラム教徒たちも地元コミュニティーの一部なのだとアピールしていきたいと語るラウフ師。同師によると米国内でこうした施設はこれまで存在しない。




同時多発テロ以降、アメリカのイスラム教徒たちは世論からも当局からも「テロリズムの温床」というレッテルを貼られ、辛い時を送ってきた。ラウフ師は計画しているセンターが、テロ事件で沈みきったロウアーマンハッタンに活気をもたらすとともに、イスラム教徒に対する米国民の見方を変えることができたらと願っている。




「まるで宣戦布告」と怒りの声も




事件をいまだ「昨日のことのよう」に思い出してしまい、心的外傷後ストレス障害(PTSD)を訴える市民からは、モスク建設への抵抗感を訴える声も聞かれる。ラウフ師の平和の願いに反し、「グラウンド・ゼロ」間近の立地について「宣戦布告」のようだと怒りをあらわにしたり、アウシュビッツにドイツの文化センターを作るようなものだと批判する人々もいる。【5月20日 AFP
http://www.afpbb.com/article/life-culture/religion/2728209/5761304





さて、もしも同じようなことが日本で起きたら、どのような結果になるだろうか。

おそらく、「遺族感情を逆撫でする」などという声が大きくなり、反対者の数も膨れあがっていくのではないだろうか。貴方は、どちらの意見に賛同するだろう?

ちなみに米国での現状は、地元コミュニティーボードの投票では29対1でプロジェクト推進に賛成しており、ブルームバーグ・ニューヨーク市長も計画に賛同している。ただし、資金集めがまだ残っており、実際の建設も2,3年先である。

遺族感情を考えることは大切であろう。しかし社会としては、もっと大切なことがあると思う。それは、お互いの違うところを認め合い、多様な考えや行動に対して寛容であることで、共存して生きる道を探ることではないだろうか。不寛容な集団に対して、不寛容な対応では、何も解決しない。

日本の社会が、このくらい懐の深い社会へと変わっていくことを、個人的には諦めたくない。





2010年6月10日木曜日

イルカ漁ドキュメンタリー『ザ・コーヴ (コーブ)』を観た

和歌山県太地町でのイルカ漁ドキュメンタリー『ザ・コーヴ』(ザ・コーブ:The Cove)を観た。

率直な感想は、マイケル・ムーア監督の作品(『ボウリング・フォー・コロンバイン』や『華氏911』)を観た後と同じだった。つまりエンターテイメント性は非常に高いが、あまりにも一方的かつ稚拙なメッセージに、辟易したということだ。

ただし、この映画を上映禁止にさせようとする人たちは、この映画と同様、非常に低レベルの主張と行動であることを自覚すべきだろう。現在各地で行われている妨害に屈することなく、一日でも早く一般公開されることを望みたい。


一部の暴力的な行為に屈することは、その行為を肯定することと等しくなってしまう。
配給会社や映画館は、もっと勇気をもって上映してほしい。



まず、世間で内容について誤解されている点が一部あった。
地元の漁師を「マフィア」と呼んでいるとの批判があったが、これは明らかな誤解である。実際のナレーションは以下のとおり。

“When we first got to the country (Japan), we had no idea who was following us…We didn’t know if it was the whalers. We didn’t know if it was Yakuza, the Japanese Mafia. We had no idea.”

「我々が最初に日本に来たとき、誰に尾行されているのか、まったく分わからなかった。(中略)それが捕鯨者なのか、それがヤクザ、つまり日本のマフィアなのか、まったく分からなかった」

そしてすぐ後に、その正体が「警察署長」だと明かされる。
どこをどう解釈しても、地元漁師を「マフィア」などとは呼んではいない。批判している人は映画を観ていないか、もしくは字幕が間違っていたかのどちらかだろう。

さて、この映画で批判すべき箇所は沢山あるので、まずはじめに、評価できる点をあげてみたい。

1 イルカ肉に含まれる水銀についての警告。

国立水俣病総合研究センターが指摘しているように、太地町住民の毛髪に含まれるメチル水銀は、国内平均の5倍以上が検出された。
早い話、なるべくならイルカ肉は食べないほうがいいということだ。妊婦や幼児にいたっては、絶対にやめたほうがいい。ただし妊婦は、マグロ等を食べることなどすでにタブーになっているので、わざわざイルカを食べる人はいないでしょう。

2 内容とそこからくるメッセージは別として、ストーリーの構成と編集、そして映像はなかなかよくできている。

つまり、娯楽としての完成度は高い。

では、ここからは批判を。

1 イルカ漁反対の動機は理解できるが(賛成はできない)、彼らのやり方では絶対に目標は達せないだろう。

これは、妊娠中絶に反対の立場をとる人たちが、合法的に中絶をしている医者を攻撃するのと同じ方法である。(実際にアメリカでは、中絶をしている医師が殺害されている)

たとえ太地町がイルカ漁をやめても、世界中で「イルカショー」などの需要があるかぎり、誰かが、どこかでイルカ漁をするのは目に見えている。実際に日本以外でも、ソロモン諸島やフェロー諸島、そしてペルーで現在でも行われている。ショー用のイルカは一匹1,300万円程度で売られているので、新規参入してくる人はいくらでもいるでしょう。そこで、本気でイルカの取引をやめさせたいならば、世界中でイルカショーを禁止にしないと意味がない。

もっとも、「なぜイルカだけ?」という疑問も出てくるので、ついでに世界中の水族館と動物園も禁止しないと、一貫した主張になりませんね。

2 イルカの知的レベルが高いから、殺すのをやめようという主張の危険さ。

この議論を突き詰めていくと、知的レベルの低い生き物は生存する価値がない、という発想になってしまう。たとえば、ナチスはかつて知的障害者に対して強制的に不妊手術を施していた。そしてスウェーデンでも、70年代まで同じことが行われていた。これは優生学とよばれる。ちなみに日本でも、96年まで「優生保護法」のもとに公式にカウントされているだけで16,520件の強制的な不妊手術が行われている。(49年から96年まで)
もしも、知的レベルが低い人間が生きる価値がないのならば、あんな映画を作る人たちは真っ先に抹殺されてしまうでしょう。

3 イルカは絶滅に瀕してはいない。

絶滅の危機がある種を保護する義務について、異論がある人はまずいないだろう。(異論があるならば、是非とも知りたい)しかしそれ以外の理由、たとえば「可愛いから」という理由では、イルカ漁反対の説得力はない。私は個人的にイルカを食べたいとは思わないが、イルカを食べたいと思う人の自由を奪うつもりはない。

4 太地町で年間23,000頭のイルカが殺されているという主張。

この数字は誇張されている可能性が高い。多く見積もっても、2,000頭程度なのでは?

もっと細かい部分を見ていくと突っ込みどころ満載の映画だが、この映画を上映禁止させようとする動きには、絶対に賛成できない。たとえ反日と思われるような内容であったとしても、それを公の場所で議論できる環境こそが、健全な社会であると思う。

どんな批判であっても、批判する機会を奪おうとする姿勢は非常に危険である。多様な意見を寛容できるからこそ、自由な社会が保たれるのである。




2010年6月1日火曜日

もうひとつの「政治とカネ」問題:機密費とメディア


メディアで活躍する評論家や記者、そしてジャーナリストたちが、政治家からカネをもらっているかもしれない。そのカネとは、もちろん国民の税金である。さて、この問題を私たち国民は、どう考えるべきだろう。

もちろんすべてが事実ではない可能性もある。しかしこれまで一部の報道機関で伝えられている内容をみるかぎり、安易に「がせネタ」と判定するべきではないだろう。

そもそも、事実がどうなっているのかということを追求することこそが、本来のメディアの役割ではないだろうか。しかし大手メディアのほとんどは、見ざる、聞かざる、言わざる状態である。

内閣官房報償費(機密費)については、以前から噂がちらほら出ていた。そこで2009年11月20日、平野博文官房長官は記者会見にて2004年度以降の国庫からの月別支出額を公表した。

自民党政権時代は、毎月1億から2億円が官房機密費として使われている。2009年8月30日に自民党が衆院選で惨敗した際には、その2日後の9月1日に麻生前内閣総理大臣が2億5千万円を引き出している。使途は不明ということだ。

そして民主党が政権をとった2009年9月から2010年2月までは、毎月6000万円、合計3億6千万円が官房機密費として支出された。そのうち未使用の1612万円は国庫に戻されたことも、5月14日に判明している。

民主党の海江田万里衆院議員は、2009年11月23日に出演した日本BS放送の番組で、10万円を受け取ったと認めている。細川政権発足後に訪中した際、当時の竹村正義官房長官から10万円が入った茶封筒を、同行した6、7人全員が受け取ったということだ。

そして、極めつけはこの人だ。2010年4月、1998年から99年に小渕内閣で官房長官を務めていた野中広務氏が、官房機密費を「毎月5千万~7千万円くらいは使っていた」と暴露した。
Asahi.comによると、首相の部屋に月1千万円、野党工作などのため自民党の国会対策委員長月500万円参院幹事長にも月500万円程度を渡していたほか、評論家や当時の野党議員らにも配っていたという。政治評論をしている人たちには、「盆暮れ500万円ずつ」届けていたということだ。ただし、ジャーナリストの田原総一朗氏だけは返却してきたらしい。
http://www.asahi.com/politics/update/0430/TKY201004300449.html

さらに5月31日、平野貞夫・元参院議員がJcastニュースの取材で、NHKの記者大手の新聞通信社に「接待」と称して毎月20万から30万円を使っていたと語っている。昭和40(1965)年の話なので、現在の価値にすれば軽く数倍にはなっている。特筆すべきはその内容で、赤坂や銀座の料亭からはじまり、ホテルで「女」まで用意していたという。ただし、朝日新聞の記者だけは応じなかったとも付け加えている。

平野氏はさらに、1994年の出来事も語っている。当時の羽田孜内閣で官房長官を務めていた熊谷弘氏から、30万円から50万円の現金が入った封筒を渡され、それをある有名な政治評論家へ手渡したという。平野氏は、野中氏の発言の信憑性についても、「非常に可能性が高い」と語っている。
http://www.j-cast.com/2010/05/30067532.html?p=1

ちなみに、Jcastニュース発行人である蜷川真夫氏は朝日新聞社出身で、『AERA』元編集長であることも付記しておく。

ジャーナリストの上杉隆氏は、この問題をこれからも追求していくと宣言している。


あくまで噂話にすぎないが、上杉氏をなんとかして潰そうという怪しい動きがあるらしい。
某大手放送局では、「何でもいい。上杉を潰せ。女でも経歴でもスキャンダルを探して来い」という指令まで出たとのこと。

英紙The Economistでは、かつて『機密費』という本を出版している国際政治経済情報誌「インサイドライン」編集長の歳川隆雄氏が、今でも機密費がメディアに流れている可能性は低いと語っている。ただし、現在普天間基地問題で揺れている沖縄では、接待費として惜しげもなく使われているという噂はあるらしい。


ここで、とりあえずまとめをしてみたい。

(1)機密費が存在することは、歴然とした事実である。しかし機密費があること自体は、必ずしも問題ではないだろう。いちばん重要なことは、大手メディアの関係者にカネがばらまかれていた可能性が非常に高いことである。

権力を監視するはずのメディアが、権力と癒着した「馴れ合い」状態では、健全な民主主義はとうてい成立しない。

(2)現在でも機密費がメディア関係者へ流れているかは、不透明。

今後も、この問題のゆくえを注目していきたい。

(3)機密費を受け取ったとされる政治評論家や、その他のメディア関係者の名前は公表されるべきだろう。

法的な裁きの現実性はともかくとして、倫理的な意味で実名公開は意味があるだろう。「当時はみんなやっていた」という言い訳もあるかもしれないが、それは過去を清算するのと同時に、公正な未来の社会への投資と考えるべきである。

(4)こういった問題が明るみになってきたことで、事実であったかどうかは別にして、たとえこの先メディアの人々がカネを受け取る機会があったとしても、慎重になる可能性は非常に高い。

少なくとも、これは正しい方向であろう。ただし、こういった報道がこれからもつづけられるという前提である。その意味では、前述した一部の報道機関には頑張ってほしい。そして私たちも、積極的にネットで取り上げるべきだろう。多くの人々が知れば知るほど、抑制へとつながっていくと思う。

(5)いずれにせよ、機密費の扱いは、たとえば20年から30年後に一般公開されるという法律を定めるべきだ。

機密費なので、どうしても国家として機密にしなければならないこともあるだろう。しかしそれが数十年後であれば、国家機密ではなくなるケースがほとんどでのはずだ。そして何よりも、後に公開されることが前提となっている機密費であれば、それを渡す人も渡される人も、倫理的な抑止効果がでてくることは間違いない。