2010年5月22日土曜日

ある男性の死



2010年3月22日、ひとりの男性が成田空港からカイロへ向かう途中、搭乗していたエジプト航空機内で死亡した。

男性が搭乗した際、タオルで猿ぐつわをされ、後ろ手に手錠をはめられていた。そのときに男性の意識はすでになかったと、エジプト航空のクルーは語っている。司法解剖の結果、死亡した原因は不明とのこと。しかし遺体の確認に立ち会った未亡人は、男性の顔面に傷があったことを確認している。

男性の名前はアブバカール・アウドゥ・スラジュ、もしくはアブバカル・アウドゥ・スラジュ(Abubakar Awudu Suraj)さんで、享年45歳だった。アフリカのガーナ国籍のスラジさんは、1988年5月に来日、そのときのビザは2週間後に失効している。以来、18年以上不法滞在をしていたが、2006年9月に出入国管理法の疑いで逮捕された。そして同年11月には国外退去を命じられる。しかし同月に日本人女性(48)と結婚し、国外退去命令の取り下げを裁判所に申請。スラジさんと女性は1989年に出会い、1990年から同居生活をしていた。事実婚である。そして2008年2月、東京地方裁判所は国外退去命令の撤回を判決する。しかし2009年2月、東京高等裁判所にて地方裁での判決を覆し、ふたたび国外退去命令を言い渡す。その際の理由として、二人には子供がいないことと、妻が経済的に独立していることをあげている。

合計22年間も日本に滞在していたスラジさんは日本語に堪能であり、不法滞在以外での法的な問題はいっさいなかった。遺族および支援者は、法務省入国管理局・東京入国管理局に経過の説明および謝罪を求めている。しかし法務省入国管理局は「警察の捜査に任せている」との対応のみで、細かい説明はされていない。

この事件は日本のメディアではほとんど扱われていないが、ネット上では未亡人の名前が報道された。すると未亡人は、勤務する会社から解雇されてしまった。事件の報道によって、会社に被害が及ぶことを恐れたためだという。

ちなみに、スラジ氏が死亡する一週間前には、茨城県にある東日本入国管理センターにて、韓国人男性、およびブラジル人青年が、首つり自殺をしている。また3月には、大阪の入国管理センターにおいて、収容者70人によるハンガーストライキが行われている。

国連人権理事会のホルヘ・ブスタマンテ特別報告者は、日本国内の移民の人権問題を調べるため来日した。3月31日に都内の国連大学で記者会見し、あくまで「予備的な勧告」と断りつつも「国籍に基づく人種主義、差別意識は 日本にいまだ根強い」と指摘、人種差別防止に向けた法整備を求めた。

この事件で考えさせられるのは、次の点である。

1)日本のメディアでは、現在この事件がほとんど扱われていない事実。

私が事件を最初に知ったのは、英紙The Economistの記事を読んだからである。
http://www.economist.com/world/asia/displayStory.cfm?story_id=16113280

そして日本の報道機関では、現在The Japan Timesの記事しか見あたらない。
http://search.japantimes.co.jp/cgi-bin/nn20100421a4.html

日本外国特派員協会(The Foreign Correspondents' Club of Japan)
日本語での報道は、東京新聞が報道したことを、ブログで取り上げている人がいる程度である。

また遺族を支援しているAPFSという団体が、ネット上で記載している。
http://apfs.jp/report20100430_682.php

朝日や毎日新聞もこの事件について報道した形跡があるが、現在ネット上ではリンクが消滅している。
どうやら、なんらかの報道規制によって、日本の報道機関ではこの事件を闇に葬り去ろうとしているのだろうか。
ただしネットの時代では、こういった報道規制を打ち破ることができる。事件の真相はどうあれ、健全で公正な社会をつくるためには、このような事件はもっと報道されるべきである。

2)スラジ氏の死亡原因の不透明さ

これは、入国管理局と警察との癒着の可能性が考えられる。司法解剖の結果も、あまりにもあやしい説明である。発展途上国からの外国人ということで、ソト(外国人)に対して、ウチ(日本人)の利益を守るというメンタリティーが働いているのだろうか。

3)未亡人が勤務先を解雇されたという事実。

余計なことに巻き込まれたくないという会社の心情も理解できないこともないが、これはあまりにも酷い話だ。しかしここで、解雇した会社だけを責めても問題は解決しない。それは事実として、そういった事件に関わっていたということで取引先として手を引く会社の存在があるからだ。つまり日本の社会全体の風潮として、何か人と違ったことをする相手をできるかぎり排除する傾向が原因であろう。正しい行為であるかという判断ではなく、異質なものが悪となってしまう社会なのである。

こういった風潮は、日本社会の奥底に根付いている非常に危険な問題だと思うのは、私だけだろうか。