2010年12月10日金曜日

裁判員裁判の是非

死刑を求刑されていた鹿児島老夫婦殺害事件で、裁判員は無罪と判断した。
http://www.asahi.com/national/update/1210/SEB201012100004.html

これは凄いことだ!と思ってしまった。裁判員裁判制度がはじまってから、厳しい判決が出る傾向があるなあ、と考えていた矢先だったからだ。

あたりまえの話だが、真実がどうかと判定することは難しい。今回の判決にしても、最近の検察による不祥事で、裁判員が検察をあまり信用しなくなったという影響もあるだろう。検察側からしてみれば、一部の不祥事によって、検察全体の信用が落ちることに不満もあるかもしれない。「自分は真面目にやっているのに」と思う検察官も多いに違いない。

しかしながら、日本では検察が起訴した場合の有罪確定率が99.9%という、とんでもない事実を忘れるべきではない。要するに、検察が「起訴」すると、「有罪」が確定するので、ある意味では裁判所も弁護士も必要ない。大阪地検特捜部の証拠改ざん事件などは、そういった司法システムの歪みから生じた事件ともいえるだろう。

そこで市民が参加する検察審査会は、巨大化した検察の権力をけん制する解決策として導入された。しかしこれは、「不起訴」になった事件を必要ならば強制的に「起訴」できるものであって、起訴されたものを「不起訴」にすることはできない。それでも、裁判所がまともに機能していれば問題ないのだが、現実はちょっと複雑のようである。裁判官にとっても、検察が起訴したものに「無罪」を言い渡すことは、検察を敵に回すことになる。そこで自己保身のために、そのまま有罪にする誘惑に駆られてしまうこともあるだろう。

したがって、最後の頼みの綱が裁判員裁判となる。一般市民にとって、検察の有罪確定率が上がろうが下がろうが、まったく関係ない。もちろん素人によって判断されるという危険性もあるだろう。しかし最終的には、社会的な正義は社会のコンセンサスによって決定されるべきではないだろうか。その意味でも、今回の無罪判決は、日本の司法制度において非常に意味のある判決といえるだろう。

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